知床遊覧船の沈没事故から旅客運送について厳しい目が向けられるようになった。
令和5年3月28日、京都・亀岡の保津川の川下り船が転覆して、乗っていた旅客は川の中に投げ出された。
旅客は全員無事であったが、船士(いわゆる船を操船する人、または船頭)2名が死亡するという事態となった。
知床遊覧船のような旅客運送事業を行う場合には、海上運送法に基づく事業許可が必要となる。
しかし、今回の川下りの船は、エンジンを使わずに船士が棒のようなもので川底や岩に当てながら操船する。
単純に海ではなく湖や川だからという理由で、海上運送法が適用されないという訳ではない。
今回川下りに使用されていた船の大きさが分からないが、おそらく以下の海上運送法の適用除外の条文に当てはまるのではないかと思う。
海上運送法(抄)(昭和二十四年法律第百八十七号)
(五トン未満の船舶等に関する規定)
第四十三条 この法律の規定は、次に掲げる船舶のみをもつて営む海上運送事業には、適用しない。ただし、人の運送をする船舶運航事業であつて、第二号に掲げる舟のみをもつて営むもの以外のものについては、この限りでない。
一 総トン数五トン未満の船舶
二 ろかいのみをもつて運転し、又は主としてろかいをもつて運転する舟
(湖、沼又は河川において営む船舶運航の事業)
第四十四条 この法律の規定は、もつぱら湖、沼又は河川において営む船舶運航の事業に準用する。この場合において前条中「総トン数五トン未満の船舶」とあるのは「総トン数二十トン未満の船舶」と読み替えるものとする。
川下りの船について言えば、船舶の航行の安全を船頭の経験や技量に頼りすぎているように思う。
まず、船舶に限らず「安全」について考える出発点は、
である。
小さなミスで重大な事故に発展しないものやミスをしても機械やシステムがそれ以上ミスの連鎖を生まないように阻止している場合もある。
人間は臨機応変に対応できたり素晴らしい能力と評価する半面、人間の能力や技量は環境に大きく左右される不安要素の塊とも言える。
人間が安全に関与するということは、それらを前提に安全に対するシステム構築しなければならない。
そうすると、次のように考えられないだろうか。
「船頭はいうか必ず空振りをする⇒舵が効かなくなる⇒船舶は岩に衝突する⇒船舶は転覆する可能性大⇒旅客の人命が危険に晒される可能性大」
このように考えれば転覆はいつかは起きるという考えになる。
そうすると、当たり前のようなことでも
①救命具は腰巻のポーチタイプは適切だろうか。
②転覆時に連絡できるか。
③連絡したとして救助にかかる時間は適切か。
④転覆して連絡がなくても、緊急事態が発生したら会社は把握できるか。
などの最悪の事態を考えられるようになる。
そうすれば、安全に対する意識は変わってきて、
「救命具は、ベスト型のAタイプにするべき」
「転覆して水に浸かっても作動できる耐水仕様の携帯電話・無線機を使うべき」
「DXや監視カメラを使用して、ポイントごとに船舶が適切に運航されているか会社で把握するべき」
そうすると設備だけでなく、次は会社の運航体制の構築についても考えていく必要がある。
そして、
「安全に絶対はない。」
常に安全だと思っている直ぐ傍で、重大災害に引き込もうとするハイエナが狙っていると思って安全管理をしなければならない。
亡くなられた船士2人に対しまして、ご冥福をお祈りいたします。
御供所町国際法務事務所
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